えーと、こちらにはあまり書き込まないようにしていたのですが..アニメの話もどんずまりまで来ているので、そろそろ考察を書いた方がいいのかなと思って書き込みます。まず、最初に珈琲さんとにもさんの考察を否定することになるのですけど、自分の基本スタンスを言うことから。1、カードキャプターさくらの考察に他のクランプ作品との関連は論じない。2、基本、さくらは日常アニです。と強弁できるラインで収まる作品である。
1はCLAMPという作家集団がさくらの話を作る時に他の作品を参照しないと読めないように作ってこなかったという事例に基づいてそう判断しています。さくら→他の作品群(XXXHOLIX、ツバサなど)はあっても逆は成立しないと。だからこちらも他の作品を考察対象にしなくてもいいだろうと思ってます。勿論、アニメさくらを理解するのに複数の参照にできる副本はあるのですけど(設定資料集、監督、原作サイド発言、作られた時代背景、TV局側のアニメ作品放送での事情、漫画版など)
2は過去のカードキャプターさくらの内容からの判断です。さくらの世界では割と日常に天災レベルの出来事が生じています。アーシーやウォーティ、無のカードの時は明らかに周囲の環境への影響は絶大でした。ですがさくらでは翌週にはそれが無かったことになる。世界です。それと旧作はセーラームーンの後の魔法少女作品でした。つまり死んで生まれ変わりがある世界でした。(エリオルにそれが体現されている。)ただしクランプの解釈では死んだ後の生まれ変わりは同一人物ではない。(セイラームーンでは死んだ後に生まれ変わったらそれは同一人物)今作ではひぐらし、シュタゲ、まどかなどの後の世界でタイムリープありです。(昔のアニメではタイムリープは禁否でした。既にそのあたりの事情は魔法つかいチャッピーかなにかで描かれています)
なぜここでそういう話をしているのかというと、日常性に戻すためにどれだけの力技を駆使するのか点にかかわるからです。今回のエリオルの発言でエリオル邸→遊園地→エリオル邸が起こっている事が言及されました。さらっと流されましたけど、これが土木建築事業として普通に行われたなら(なんと無駄なと発言しましたけど)日常内の話ですけど、この不自然な過程に魔法が絡んでいたらどれだけの人間の運命が狂ったかはかりしれません。さくらの世界には同じような遊園地がもう一つあるのでそちら話に記憶改変されているのかもしれませんけど…それでも影響力絶大です。
つまり魔法少女ものです日常に戻りますと言ってもその臨界が重要になってきます。(場合によっては地球も宇宙も滅びましたけど世界線を巻き戻せるので問題ありませんという話ですら可能になります。)で、もう一つ重要なのはタイムリープは現在の衰え行く日本的妄想なんですよ(「昔はよかった」「あの時ああしとけば」は老人的妄想)さくらは本来はこれから未来のある子どもの話であるはずです(「限界のない可能性がここある。この手に~」)
それに今回のさくらは視聴者に語り掛けるような説話が多いのが気になります。むかしのさくらでは純粋に女の子の気持ちによりそっていました。これらもさくら的暖かい世界の臨界にかかわります。さくらから見たらハッピーエンドだけど他の視点から見たらバッドエンドな終わりもあるかもしれない。